2011年10月15日

オリコンの父が作った物、そして失った物。-小池聰行氏生誕に思う-

今日、15日はオリコンランキングの父
そしてヒットチャートの指針と為った
オリコングループ創業者の小池聰行氏の
ご生誕の日で有ります。

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株式会社オリコンの創業者、小池聰行。
日本で初めて音楽ランキングを導入した人物である。
自らテレビにも出演し、
日本初の「歩く広告塔の社長」とも呼ばれている。

1932年、北海道三石町で生まれた聰行。
同志社大学在学中に、人気のメカニズムに興味を持つ。
それが後に、オリジナルコンフィデンス社を
立ち上げるきっかけとなる。

会社を設立した後、聰行は自分の足を使って、
しらみつぶしに調査を行う。
そうした努力の甲斐もあり、
レコード店の協力などを得て、
聰行のランキングは徐々に浸透していく。
ランキングは、日本テレビ「紅白歌のベストテン」など、
テレビ番組でも採用された。

聰行はテレビ番組にも自ら出演。
「銀座NOW!」「夕やけニャンニャン」などで、
瞬く間にお茶の間の人気者に。

そして2001年、
聰行は脳出血のため68歳でこの世を去った。

いまや音楽だけでなく、あらゆる場面で
日々目にする人気ランキング。
それは信念を曲げず、「本当の人気」を
追求した男の、汗と涙の結晶である。

(2010/10/15放送、
日本テレビ系 DON!今日は何の日より)


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まぁ良しに付け悪きに付けw
音楽ヒットチャートの歴史を語る上で
避けて通れない存在がオリコンと
一から築き上げた創業者の小池聰行氏の存在は
それを語る上で欠かす事が出来ません。
Wikipediaの文献を元に足跡を振り返ってみました。

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小池 聰行(こいけ そうこう)
(1932/10/15-2001/1/20)

北海道三石郡三石町(現・日高郡新ひだか町)出身。

同志社大学文学部社会学科新聞学専攻卒業。

雪印乳業宣伝部勤務、会社経営を経て、
1964年頃に映画と音楽社に入社
音楽雑誌「TEEN BEAT」編集長を経験
(1965/9-1968/2) 後に独立。

1967年に株式会社オリジナルコンフィデンス
(現オリコン・エンタテインメント)を創業。
業界・一般向け音楽エンタテインメント情報提供の
草分けとして尽力。

レコード売り上げの公査部数を発表する機関として
日本ABC協会、株式会社ビデオリサーチと並ぶ
公査機関的企業としてオリコンチャートを育てた
名実共に日本の音楽ヒットチャートの父で在り
魁を確立した先駆者でも在る。

数々のメディアに自ら出演する機会も多く、
業界内外の多方面から慕われる存在であった。
と、同時にオリコンチャートの普及と宣伝
知名度の向上に貢献する事で
オリコンチャートを日本を代表する
音楽ヒットチャートの権威に成長させた。


温厚な性格の彼は無類のおもちゃ好きで、
オリコン社内に「童心ランド」と
称するおもちゃ部屋をつくった。

(現在、存続しているかどうかは不明
一部情報筋では早急に撤去されたとの噂も)


一方でこうした事業がCDや映像ソフト、
写真集等において所謂「自社買い」や
「握手会商法」等と揶揄される組織票の横行を招き
音楽文化を蔑ろにし利益重視の風潮を生み出し
国民的歌謡文化はおろか伝統的音楽文化が
生まれる土壌が消えたという
一部からの厳しい批判もある。

1980年代半ば、アイドル歌手などに対し
「アーティスト」という呼称を用いて、
一部に違和感を生じさせた。
それまでアーティストという呼称は、
シンガーソングライターであり
レコード(CD)をトータルでプロデュースするような
ミュージシャンに限定して使用されていたものだったが、
小池氏がアイドル歌手などに対して使用して以来、
レコード(CD)歌手=アーティストという概念が
定着してしまう結果となった。
この呼称は、従来歌だけを歌っていれば
許された若手女性歌手などに対し、
作詞が出来なければ一人前ではないという
風潮を生んでしまった。そのため、
元々楽曲にも精通しておらず、
教養も人生経験も決して豊富であるとはいえない
彼女等は既存の曲や詩などから
歌詞を盗用せざるを得なくなり、
このアーティストという呼称が
定着することによって
多くのパクリ騒動疑惑や
悪しき偏見等を産んだと言う側面もある。

晩年は1999年10月から亡くなる直前の
2001年1月下旬まで文化放送にて
ラジオ番組「小池聰行のオリコン童心ランド」の
メインパーソナリティとして音楽の話題や情報を
リスナーに向けて提供し続けた。


2001年1月20日に急性脳出血で急逝、享年70

彼の没後、後継者を巡る左右曲折を経て
長男の小池恒が跡を継ぎ、株式会社オリコン(現在)の
代表取締役社長(後に会長)に就任した。

*参考文献
Wikipedia(ウィキペディア)より
一部、文書を引用の上構成。


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現在の代表が果たした役割に付いては
貢献どころか一部で不満や悪評が囁かれ
現在の音楽、エンタメ業界での
揺るがない地位を築くと同時に
権威や信用を揺るがしかねない問題や
モラル低下等の悪しき風潮や歪みを生じる
指摘も一部で囁かれています。

その代表例が2006年12月に起きた
「オリコンvs烏賀陽裁判」の一連の顛末と
音楽ジャーナリズムの根幹を揺るがしかねない
企業利益優先の不当判決を言い渡した出来事。
そして軍国主義的検閲を正当化すると言う
裁判所の判決の誤りに国内はおろか海外からも
厳しい批判の声が上がりました。

結局、2009年8月オリコン側の主張が
多くの矛盾とでっち上げ同然の状況証拠
そして、良心的音楽を愛する人達を
不当な理由で弾圧しかねない悪意としか
受け止めかねない根拠の悪意的主張が
破錠と自滅を招き結果的に
請求放棄=敗訴の恥とも言える結果を
自ら認めてしまったのです。

これは紛れも無く経営者失格と
見られても言い逃れ出来ません。

さらにBLOGサービスのスタ☆ブロ
管理運営の不手際と欠陥から生じる
不法ステルスマーケティングスパムや
ワンクリック詐欺系犯罪の横行を見逃し
それに関連したオリコンMyプロフィール
頻発するスパムプロフの横行を招き
しっかりした管理をすれば防げた筈の
治安管理が皆無同然の無法地帯化する
現状を生み出す根元を黙殺同然で放置する
サービスの根幹を否定する姿勢も
一部から疑惑視されています。

この現状を"もし"小池聰行氏が
ご健在で居たとしたら・・・・・

どんな決断を下すのでしょうか?
どんな対策を実行するのでしょうか?

そして・・・・"もし"小池聰行氏が

この利益利害と文化育成の間で
苦悩する音楽と芸能文化の
厳しい現状と現実を知っていたら

彼は何を思い、どんな発言を言うのか?

一度、私は意見を聞きたいと思うのだが・・・。



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2011年08月17日

広島と長崎 原爆の日 風化する記憶と受け継がれる記憶。

原爆投下の悲劇から66年目の
2011年夏、広島そして長崎で
平和記念式典が開催された。

東日本大震災での未曾有の原発事故が
依然、終息が見えない状況での
平和宣言には国のエネルギー政策に対する
方針と姿勢の転換を求める
切実な意見が宣言文に垣間見られます。

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66年目の広島原爆の日 
市長「エネ政策再考を」




広島は6日、戦後66年の原爆の日を迎えた。
広島市中区の平和記念公園で平和記念式があり、
約5万人(市発表)が参加。
原爆投下の午前8時15分に合わせ、黙祷(もくとう)した。
東京電力福島第一原発事故後、初めての「8・6」。
松井一実市長は平和宣言で、
「事故が原発に対する国民の信頼を根底から崩した」と述べ、
国にエネルギー政策を早急に見直すよう求めた。

過去最多の外国代表が集った昨年より
8カ国少ない66カ国と欧州連合の代表が集った。
原爆を投下した米国は2年連続の参加で、
出国中のルース大使に代わり
ズムワルト臨時代理大使(首席公使)が参列。
核兵器保有国では英仏両国とロシア、
事実上の核保有国イスラエルも参列した。

4月に就任した被爆2世の松井市長は、
初めて公募した被爆者の声から
男女2人の体験を平和宣言の冒頭で引用。
「被爆者は核兵器のない世界を願い、
毎日を懸命に生き抜いてきた」と思いを代弁した。

さらに福島原発事故に触れて
「放射線の脅威は多くの人々を不安に陥れた」と指摘。
「核と人類は共存できない」との立場から
脱原発を主張する人々と、原子力管理の厳格化と
再生可能エネルギーの活用を訴える人々がいる、
としてエネルギー面で具体的な対応策を講じるよう国に求めた。

菅直人首相もあいさつで
原子力の「安全神話」を深く反省するとして、
「原発への依存度を引き下げ、
『原発に依存しない社会』を目指す」と述べた。

式では前日までの1年間に亡くなった
5785人の氏名が記載された名簿を、
松井市長と遺族代表が原爆死没者慰霊碑に納めた。
厚生労働省によると、3月末現在、
被爆者健康手帳を持つのは21万9410人で、
前年より8155人減った。
平均年齢は前年より
0.71歳上がって77.44歳になった。

(6日付け朝日新聞記事より)


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長崎市長、脱原発訴える 
原爆の日・平和宣言




長崎は9日、戦後66年の原爆の日を迎えた。
長崎市松山町の平和公園で市主催の
平和祈念式典があり、田上(たうえ)富久市長は
「原子力にかわる再生可能エネルギーの
開発を進めることが必要」とする平和宣言を読み上げ、
被爆地として脱原発へ踏み出す考えを表明した。

原爆投下時刻の午前11時2分、
黙祷(もくとう)が捧げられ、
続いて田上市長が平和宣言を読み上げた。
東京電力福島第一原発事故を受け、
「『ノーモア・ヒバクシャ』を訴えてきた
被爆国の私たちが、どうして再び放射線の恐怖に
脅(おび)えることになってしまったのか」
「人間の制御力を過信していなかったか」と指摘。
「長期間を要するとしても、より安全な
エネルギーを基盤にする社会への転換」が必要として、
脱原発を目指す考えを示した。
核兵器廃絶、北東アジアを
非核兵器地帯とする構想の実現も訴えた。

原発事故を受け、今年の平和宣言で
「脱原発」を盛り込むかが最大の焦点だった。
田上市長は、産業や市民生活への影響に対する
議論がないとして「脱原発」に踏み込むことには
慎重だったが、最終的には「原子力にかわる」という表現で
脱原発を目指す宣言を読み上げた。
宣言文を練り上げる学者や被爆者らの起草委員会での議論を経て、
「二度とヒバクシャを生み出してはいけない」との
市民の声に背中を押された。
「原発ゼロへのプロセスは私もまだ分からない。
でも、最終的にシンプルに、うそのない原点に
立ち返ろうと思った」と田上市長。
「ヒバクシャを絶対につくらない、
その道の行き着く先は原発ゼロだ」と言う。

式典には、
原爆を投下した米国から
ズムワルト駐日臨時代理大使(首席公使)が
政府代表として初めて出席。
このほか、核兵器保有国の英、仏、ロシアを含め、
過去最多の44の国や欧州連合の代表が出席した。
東日本大震災で被災した
福島県いわき市の中学生43人と
福島市の瀬戸孝則市長も参列した。

菅直人首相は
「原発への依存度を引き下げ、
『原発に依存しない社会』を目指す」とあいさつした。

式典には約6千人が出席した。
この1年間に死亡が確認された
3288人の名簿が奉安され、
長崎原爆による死没者は
累計で15万5546人になった。

(9日付け朝日新聞記事より)


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しかし・・・その一方で
当時を知る当事者の高齢化は進み
年齢は平均、60代から70代後半近く
当時の記憶の風化も静かに進みつつ在ります。

それでも、当時の記憶を語り継ぐ事に
情熱を持って取り組む人達の努力に
耳を傾ける戦争を知らない世代も
確実に記憶を受け継ぎつつ在るのも事実です。

微力と地道ですが平和への思いと
同じ過ちを決して二度と繰り返さない為に
信念を持って記憶の継承に取り組んでいます。

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被爆の祖母、孫に渡す「平和」のバトン 
-9日長崎原爆忌-


長崎原爆の日(9日)を控えた
長崎市の平和公園で8日、
平和祈念式典で犠牲者に捧げる水を
小、中、高校生が園内の「平和の泉」からくんだ。
高校生代表は被爆体験の語り部、
下平作江さん(76)の孫、
結依さん(16)=同市立長崎商高2年。
肉親には面と向かって体験を語れなかった祖母は今、
「ようやく孫にもバトンを手渡せた」という思いでいる。

下平さんは、爆心地から800メートルの
自宅近くにあった防空壕(ごう)で被爆。
母、姉、兄を失った。助かった妹も10年後、
列車に飛び込んで自ら命を絶った。
翌日、妹の後を追おうと下平さんも
線路際に立ったが、怖くてできなかった。
どんなにつらくても、家族の分まで生きると決めた。

「二度と被爆者をつくりたくない」と語り部を始め、
これまでに30年を超え、
1万回以上、体験を語ってきた。
年に300回以上、話をしたこともあるが、
家族には話さなかった。
失った親やきょうだいのことを、
家族に語るのは苦しすぎた。

結依さんが中学2年の時だった。
下平さんは結依さんが通う
中学校から講話を頼まれた。
「いい機会がやってきた」と思った。

生徒の一人として講話を聴き、
結依さんは絵本で読んだだけだった
祖母の半生を初めて詳しく知った。
つらくとも生きると祖母が決意したから、
今の自分がいると知った。
祖母には「私たちの代でも、
平和について訴えていかないとならない」と
手紙を書いた。

今年の夏休み前、
高校で式典の参加者を募った時は、
真っ先に手を挙げた。
「平和を訴えてきた
おばあちゃんの力になりたい」と結依さん。
下平さんは
「生きたからこそ、
思いが孫に伝わった」と感じている。

(9日付け朝日新聞記事より)


**************************************

今だからこそ、戦争を知らない世代で在る
私達の世代が過去の声無き声の記憶に
真摯且つ真剣に耳を傾けなければ為りません
そして・・・
そこから何かを学び取る事こそ
風化する記憶を風化させない為の
重要な責務だと私は強く思います。

残された時間は後僅か・・・
もはや猶予は出来ません・・・

私達の世代に何が出来るのか・・・?


一人一人の姿勢と行動が今、試されています。




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2011年03月19日

東日本大震災から一週間を過ぎて・・・。

未だに経験した事の無い
未曽有の震災から丁度一週間が経過した・・・
悪夢を見ているかの如く報道される
被害の数々に目を疑いたくなる程の
衝撃的な現実に打ちのめされた方も
少なくないと思う・・・・

私も例外では無い・・・悪夢でも見ているのか?と

**************************************

被災1週間、被害の全容不明=市民生活崩壊、
原発事故も影響―東日本大震災




東日本大震災は18日午後、
発生から丸1週間を迎える。
大津波に見舞われた東北の
太平洋沿岸部の被害は甚大で、
死者は6406人となり、
阪神大震災の6434人に迫っている。
震災被害は日を追うごとに増え、
全容は依然分かっていない。
燃料などの物資不足は解消されず、
被災地の市民生活や経済活動に
重大な影響が出ている。
さらに、福島第1原発事故が
周辺地域に深刻な影響を与えている。
地震は11日午後2時46分、
三陸沖を震源に発生した。
規模を示すマグニチュード(M)は9.0で
日本国内観測史上最大。
高さ10メートルを超す津波により、
多数の家屋や漁船、車両が押し流され、
岩手、宮城、福島の太平洋沿岸部は
壊滅的な被害を受けた。

警察庁のまとめによると、
18日午前11時時点で、
死者・行方不明者は1万6665人となった。
死者は宮城が3860人、岩手が1907人、
福島が583人など、12都道県で計6406人。
行方不明者は岩手が4253人、福島が3844人、
宮城が2157人で、6県の計1万259人。
警察や自衛隊などによる捜索活動は難航している。

避難者は同庁の17日午後11時時点のまとめで、
宮城が約18万3000人、福島が約13万2000人、
岩手が約4万8000人など、秋田以外の東北5県と
栃木、茨城、新潟の8県で約38万3000人に上る。
避難所で亡くなる人や、
宮城や原発事故があった福島から、
東北の日本海側や関東に避難する人が相次いでいる。

(18日付け時事通信より)


**************************************

東日本大震災 死者6911人
「阪神」超える…戦後最悪に


国内観測史上最大の巨大地震に襲われた
東日本大震災の被災地は18日、
発生から1週間を迎えた。
近く仮設住宅の建設が始まるなど
復興へ向けた動きも出始めたが、
物資不足が続く。
被災者の厳しい状況は変わらず、
約38万人が不便な避難所生活を強いられている。
死者は6911人に上り、
阪神大震災(死者6434人)を超えて
戦後最悪の自然災害となった。

(18日付け毎日新聞より一部抜粋)




**************************************

時間が経過するに連れ被害の実態が報告され
その規模は大きくなるばかりか深刻な状況が続き
予断を許さない事態が今も続いています。

福島第一原発での被害も厳しさを増し
事態悪化を止めるべく懸命の作業が
現在進行形で今も進めてます。

被災に遭われた方の避難所での生活も
物資不足等で厳しい状況下の中で
懸命に耐え忍んでます。

沿岸部の予想外の津波の被害も
深刻さを増し捜索も難航、
犠牲者の収容も建物等の損壊の規模や
余震のもたらす二次災害を警戒し
収容作業も順調とは言えません。

全ての交通網や電気 ガスや水道 通信等の
ライフラインも寸断状態となり
一部は復旧したとは言え完全とは言えず
完全復旧の目処が何時に為るか分りません。

被害の少ない都心でも都市災害特有の
地面の液状化現象や石油精製施設の
爆発火災、落下物の事故や
交通機関の一時的混乱や電力供給不足等で
目立ちませんが被害が少なからず出ました。



と同時に大都市での被災に対する微弱面も
今回の震災で浮き彫りに為りました。

時間経過と共に日常品、物資不足や
被災地への輸送手段の確保と復旧
被害地の捜索や治安、現状の把握
避難所の収容被災者の生活面と健康面での
不安や心の傷のケア等、克服すべき問題も多く
震災発生後、頻繁に続く余震活動が
現在もなお続き心理的不安を抱えている人達も
少なからず存在しています。



まず何をするべきか?
そして何を考えて動くべきか?

自然がもたらす厳しい試練を前にして
今、私達は試されてます・・・。

思いやりと暖かい心、冷静且つ的確に
行動する事こそが今、必修の課題として
求められていると私は思います・・・。

被災に遭われた皆様に心からのお見舞いを
そして震災の犠牲者と残された遺族の皆様に
心からの哀悼の意を申し上げます。

当たり前の言葉かも知れませんが
一言、言わせて下さい・・・

決して希望は捨てないで下さい!
posted by ヘゥンのタカ at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 論説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月11日

宗教が悪いのでは無い!抗議すべき敵は・・・。

あの悲劇から9年後・・・
悲劇を繰り返さない為の動きの中
間違った抗議行動が波紋を呼んでいる。

本当に抗議すべき敵を
見誤ったとしか言い様が無い・・・

果たして・・・この行動は
本当に正しいのだろうか?

**************************************

「コーラン燃やさない」
計画の牧師が中止発表


9年前の米同時多発テロ当日の11日に
イスラム教の聖典コーランの
焼却イベントを計画していた米南部
フロリダ州のキリスト教会は10日、
イベントの中止を発表した。
テリー・ジョーンズ牧師が米テレビ番組で
「現時点では燃やさない予定だ」と述べた。

コーラン焼却計画を巡っては
米国内外から非難が噴出。
オバマ米大統領は9日午前、テレビ番組で
「焼却は国際テロ組織
アルカイダを利するだけ」と批判し、
ゲーツ国防長官も電話で教会に中止を求めていた。

ジョーンズ牧師は9日、
いったん中止を発表したが、
同日夜には「再考する」と前言を修正。
10日になって中止を明言した形だ。

だが、アフガニスタン北東部では、
牧師の「中止発表」を前にした10日、
コーラン焼却に反対する1万人規模の
抗議デモがあり、ロイター通信によると、
現地に展開する
北大西洋条約機構(NATO)軍によると
みられる発砲でデモ参加者1人が死亡した。

同通信によると、
抗議デモはバダクシャン州ファイザバードの
NATO軍基地周辺であり、
ラマダン(断食月)明けの祝祭
イードの礼拝後に抗議デモを開始、
一部がNATO軍基地に向けて
投石していたという。
抗議デモは9日以降、
首都カブールと他の5州でも起きたという。

(10日付け毎日新聞より)


**************************************

イスラムの聖書と言うべきコーランを
焼却する事で抗議の意を明らかにしようとする
この行動はお門違いとしか言えないと私は思う。

真に抗議すべき敵は・・・

宗教と言う大義名分に名を借りた
非道なる虐殺行為で全てを
完全支配しようとする暴君

国際テロ組織 アルカイダ

その物で有るっ!

あれは宗教でも何でも無く
ナチスの大量虐殺を正当化した
アドルフ・ヒットラーとそれに関わった者と
ほぼ同罪で有ると私は断言するっ!

宗教の象徴と言える聖書を焼却して
抗議しようとする事自体・・・

間違っている!


真に怒りを覚える抗議対象を
聖書に向けようとする事自体が
返って相互理解を妨げる
障壁と為ってしまう事を
理解しているのだろうか・・・?

宗教その物では無く
宗教の教えを歪曲した犯罪行為を行う
アルカイダの犯罪行為その物こそ
怒りの対象では無いか?と思う。

本当に断罪するべきは
国際テロ組織 アルカイダで在り
イスラムの聖書で在るコーランの存在に
怒りを向けるべきでは無いと私は思う。

間違った行動が新たな過ちを
犯してしまわない事に為る前に
冷静且つ毅然とした判断を求める事を
私は願わすに要られない・・・。



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・・・9・11の記憶。

#携帯電話でご覧の皆様へ

動画はPC版のみ対応です
予めご理解の上ご覧下さい。

**************************************

今から9年前の
忘れもしない2001年9月11日・・・

あの日を境に世界は過ちと言う名の
殺伐とした時代へと変わり始めていた・・・

あの瞬間の現実を目撃した事で
取り返しの付かない惨劇をリアルタイムで
ほぼ全ての人達がこの予想し得ない惨劇を
現実に目撃してしまったのだ・・・。

アメリカ東部夏時間AM08:46
(日本時間PM08:46)

注・現地時間(アメリカ東部夏時間)は、
日本時間より13時間の時差です。

何者かに乗っ取られた
アメリカン航空国内線11便が
ニューヨークの象徴で在る
世界貿易センタービルの北棟に衝突、爆破炎上



誰もかもが目を疑う瞬間だった。



怒号と混乱の最中、事の推移を見守っていたAM09:03に
南棟に時を同じく何者かに乗っ取られた
ユナイテッド航空国内線175便が衝突、爆破炎上



最初の突入から約18分後の事だった。



日本時間PM22:00
何時もの様にテレビを付けた私は
その飛び込んで来た一報に我を疑った・・・

そう、何時もの空気とは違う異質な物
重苦しい光景を画面から感じたのだ・・・
当時の何時も見ていたNHKニュース10での
映し出した画像は明らかに何かが違っていた



メインキャスターの堀尾正明アナ(当時)の
「あっ!」の声と同時に映し出された画像は
今も強烈な印象と共に記憶している。



それは見た事も無い惨劇の始まりに過ぎなかった



アメリカ東部夏時間AM09:59
世界貿易センタービル南棟が崩れ落ちる様に崩壊
そして北棟も約30分後のAM10:28に同じく完全崩壊した。



凄まじいまでの倒壊は
ビルに閉じ込められた生存者を救助しようとした
救難隊員や消防、警察関係者を巻き込み
被害をより拡大させ2749人が犠牲と為ってしまった。

その時のフジテレビの報道映像は
この混乱の模様を伝えている



女性記者の叫ぶ

「逃げてっ!早く逃げてっ!」

に倒壊時の混乱とパニックを物語っている。

その後もワシントンの国防省施設として知られる
国防総省本庁舎(通称、ペンタゴン)が
AM09:38に何者かに乗っ取られた
アメリカン航空国内線77便が突入、
爆破炎上し建物の一部が倒壊
77便の乗客・乗員全員と
国防総省職員189人が犠牲と為った。

それと前後して
サンフランシスコ行きの
ユナイテッド航空国内線93便も何者かに乗っ取られ
AM10:03ペンシルベニア州シャンクスヴィル
(ワシントンD.C.北西240kmの場所)に墜落
乗客37名(4人の乗っ取り犯を含む)と
乗員7名が尊い犠牲と為った。

一連の出来事は全ての人々に強い衝撃を与え
同時に混乱と深い悲しみ、そして怒りと憎しみを
世界に拡散させてしまった・・・。

そして誰もかもが安全と思っていた機能に
落とし穴と言える重大な欠陥を知る事と為った。

来年、2011年はあの悲劇から
丁度10年を迎えようとしている。

私達はこの悲劇から
何かを学ばなければ為らない。
そしてこの教訓を生かすと同時に
惨劇を二度と引き起こさない事を・・・。

一度起きた現実は二度と
後戻りは決して出来ないと言う事を・・・・・。



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